最後のコシアブラ丸鍋会

二代目丸川荘小屋番“只木貞吉”さんから、三代目丸川荘小屋番“末澤栄二”さんへ。

 

来月の6月いっぱいで、大菩薩嶺の中腹に位置する、丸川峠にある『丸川荘』の小屋番が代わるとの連絡を受け、ただいま目下世知辛い世の中になっているんだけれど、万全の対策でもって『只木貞吉さん』の顔を見に行ってきた。
5月22日、土曜日の話。

丸川荘の小屋番が、“只木さん”から“末澤さん”へ世代交代する。
兎にも角にも愛らしいキャラクターで人気の只木さんから、小屋番を引き継ぐ次の人の期待は相当大きなものだと予想ができますが、実は三代目となる末澤さんも相当な個性派で頼もしい限り。

文才があり話も面白く、勉強家で研究熱心。自宅の古民家をひとりで大規模改修してしまう知識と技術も持ち合わせ、そしてセンスがよい。只木さんに弟子入りしてからは、小屋番の仕事の他、木彫りもこなし、心身ともにたくましさも備え持つタイプでまさにうってつけ。

以前ヨメさんが、山歩き中に骨折をしてそのまま丸川荘まで上がってしまい、自力で下山ができなくなってしまった事件がありました。
今では語り草として楽しく話せますが、そのときの『滑って転んで足首が折れた事件』では、只木さんと末澤さんに、ヨメ氏ケーコが大変にお世話になった大恩義があり、その二人の小屋番さんが居る丸川荘には並々ならぬ感情が込み上がるのです。

そんな丸川荘へは、柳沢峠から入山。

ヨメ氏が骨折した現場を経由して、苔むした森と、新緑で綺麗な森を歩いてゆきます。

ヒカリゴケも安泰。北八で身につけたはずの“苔の知識”は……やや安泰か。😅

ヨメ氏、テント泊用のザックを新調し初使用。
今度のものはキツネのマークの、フェールラーベンの“カイパック58(Kaipak 58 W)”とした。ショルダーのポケットも大きくて、いまのところ塩梅は良さそうだ。

山の幸、コシアブラをいただく♪

丸川荘へ到着。
元気そうな只木さんの姿を見るとほっとします。

いつものコシアブラ料理♪のオンパレード。

今回一番のお気に入りは、只木さんに教えてもらったコレ。↑
「コシアブラの嵩が半分ぐらいになるまで乾煎りし、ごま油をかけて香りを出し、しょう油をたらりとかけたもの」がべらぼうに美味しかった。

よき酒の肴となりました。酒が進みます。

 

丸川荘での朝。

一部の方々で流行った『丸鍋』は、丸川荘に只木さんが居るからこそのもの。小屋番さんが代替わりするのであれば、ここらで一区切りをつけて、最後の“丸鍋で語らう会”となりました。

丸川荘での、幻的な“とろろごはん”と芋煮の朝食。

名残惜しいんだけれど、次に訪れるのは“三代目丸川荘小屋番 末澤さん”が居るときになりそう。

予報では天気がいまいちだった週末山行なのに、終始お天気が良くて何よりでした。

山で交わる『人』とのめぐり合わせとは不思議なもので、こうして師と仰ぐ只木さんのような存在の人もいれば、今ではもうすっかりと旧知の間柄になっている人たちもいて、遠く離れたところに暮らしている仲間だって、ひとたび山で会えば同じ趣味を持つ者同士、普段生活している日常ではけして考えられない“時間の共有”が味わえます。

お互いいま置かれている立場、職業、年齢、ましてや性別も、山ではほとんど関係せず、価値観が同じ人たちと“時間の共有”をすることによって、ボクとヨメ氏は、まだまだ人として成長していけるように感じてなりません。山ってすごいなと感じます。

こうして一つのドラマを、師から弟子へと小屋番を受け渡すシーンを垣間見られたことは、本当に素晴らしくて感動的でした。久しぶりに、とても心があたたかい気持ちになります。

さて只木さん、カラダが動く限りは山へ入り、今度は三代目のサポート的な役目に徹するとのことですが、なにはともあれ、二代目丸川荘小屋番としてやってきた40年の歴史に幕が下りることは変わらない。長い間本当にお疲れさまでした。
そして丸川荘の三代目小屋番末澤さん。引き続き、どうかよろしくお願いいたします。

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