涸沢ヒュッテで雪中キャンプをしていたゴールデンウィーク前半、4月27日(日)のこと。
建築家・吉阪隆正氏が設計を手がけた『涸沢ヒュッテ新館』を訪ねた時の話である。
残雪期の北穂高岳に登頂し、涸沢小屋に立ち寄ってマムート印の生ビールを一杯。
ほっと一息ついたところで、涸沢ヒュッテ新館に連泊していた仲間が声をかけてくれた。
「これから客入り前の室内を見学できるけど、行く?」と──まるで登頂のお祝いのような言葉だった!
聞けば、吉阪ファンのボクのために、小屋のスタッフに見学の交渉をしてくれたのだとか。
ありがたいにも程がある。
慌てて拠点のテント場へ戻り、登攀道具を片づけ、あらためて“正装”(といってもリラックスできる防寒着だが…)に身を包み、何度も見聞きしていた『涸沢ヒュッテ新館』を、ついにまじまじと見学できることになった。
さて、その涸沢ヒュッテ。
3000m級の穂高連峰と涸沢カールに囲まれたこの山小屋は、本館・新館・新々館の三つの建屋で構成されている。
とりわけ二番目(1963年)に建てられた『新館』が、建築家・吉阪隆正氏とU研究室の手によるものだと知ったのは、山歩きを始めてこの小屋を訪れたときのことだった。
本当は一度泊まってみたかったのだが、小屋泊代の余裕がなかったり、そもそもテント泊主体の山行だったりして、これまで機会がなかった。
それがまさか、こんなナイスなタイミングで中を見学できるとは。
仲間には感謝の言葉もない…いや、感謝しかない。他力本願で転がり込んだこのチャンス、笑わずにはいられない。
新館は、堆積したモレーンの岩場を掘り込んだ場所に建っている。
そうした敷地条件を活かした背景には理由があり、涸沢ヒュッテ新館の屋根の上を雪崩が通る可能性を考慮しての設計だという。
ちなみに、本館前にそびえる厚さ5mの“蛇籠”の石積みも、何度も雪崩に流された末に設置されたもの。
雪崩を食い止める要として、しっかりとその役割を果たしている。
冬の“小屋閉め”の際には、屋根に積もる重い雪を支えるために、仮設の柱や板材が大量に使われる。
そしてその仮設材は、雪の季節が終わると“展望デッキ”として転用され、屋根の上に登って山の景色を楽しめる仕掛けになっている。
いまやすっかり名物のひとつだ。
『吉阪隆正+U研究室|山岳建築』という書物によれば、この展望デッキは設計初期には存在せず、山小屋を運営する中で生まれた、利便性と独自性の結晶だという。
モルゲンロートに星景、パノラマの大展望──
そこから見える、想像を絶するような自然の移り変わりを思うだけで、胸が踊ってくる。
涸沢ヒュッテ新館は木造2階建て。
スパン(柱から柱までの距離)が大きい食堂にはトラス梁が組まれていた。
中心となる施設には、広々とした“受付”、ゆったりした“ホール”、動線の良い長い“土間”、収納たっぷりの“下足”、明るく開放的な“食堂”、機能美あふれる“厨房”、そして工夫が詰まった“客室”と、魅力的な空間が展望デッキの屋根の下にぎっしり詰まっている。
こういうのを“心くすぐられる”というのだろう。
客室の小窓からチラリと見える景色も捨てがたかったが、増築された食堂の大きな窓から眺める景色は、まさに息を呑むほどの美しさ。
ああ、なんという贅沢──と、思わずため息が漏れた。
それほどに、ボクにとって感動的な山小屋だった。
これまで雷鳥沢ヒュッテ、黒沢池ヒュッテ、そして今回の涸沢ヒュッテ新館と、いくつかの山小屋を巡ってきた。
やはり偉人の手がける建築には、ひと味違う面白さがある。
そして何より、それを趣味の山歩きの中で味わえるこの境遇に感謝している。
まだ見ぬ“偉人の山小屋”に出会うために、また歩き続けたい。
今回も、実に良き山小屋探訪であった。