旧日光街道歩き4終〈宇都宮宿⇒日光鉢石宿〉

旧日光街道歩き

いよいよもって、最後の『旧日光街道歩き』を踏破した。
ヨメさんの“足のリハビリ”が主目的のこの街道歩きは、

1回目は“足首脱臼骨折のリハビリ”に併せて〈日本橋から粕壁宿〉までの39.2kmを歩き、
2回目は“膝ACL再建手術のリハビリ”に併せて〈粕壁宿から間々田宿〉までの38.9kmを歩き、
3回目は“足首脱臼骨折の抜釘手術のリハビリ”に併せて〈間々田宿から宇都宮宿〉までの38.8kmを歩き、
そして今回、
4回目は“膝ACL再建手術の抜釘手術のリハビリ”に併せて〈宇都宮宿から日光鉢石宿〉までの37.6kmの最終区間を歩いてきました。

日光杉並木街道

いやはやこれが結構長かった。けれどもこれがなかなかどうして楽しかった。最後の区間なんてまるで山歩きしているような緑深い街道沿いをてくてく歩いてゆくのです。そんな、とても自己満足した“旧日光街道”約142km(実測154.5km)の道のりを、4回に分けて歩いてきた最後の記録の話です。良く晴れた土曜日の5月12日のこと。

日光杉並木街道

そもそもどうして旧街道を歩いてみたくなったのか。ヨメさんのリハビリが大きな目的ではありますが、実はやっぱり311の東日本大震災の影響が大きい。交通機関が大震災によって麻痺し、全線不通になって家に帰る術を絶たれてしまい、仕事場で翌々日の朝まで途方に暮れていたあの頃。

日光杉並木街道

普段から山歩きを趣味としている手前、平坦な道なら何処までも歩けるだろうと高をくくっていましたが、Google先生で仕事場から自宅までの距離をちょっと調べてみると、「42km」もあることが分かり衝撃を受けました。果たして歩けるのか、そんな距離!不安が募るばかり。

旧日光街道

こうして、またいつかきっと来るであろう大震災の余波にも負けないよう、自分が一日で問題無く歩ける距離を知りたくなったのがきっかけではありました。さらに、こうした平坦な道を歩くこのタイミングを、ヨメさんの足のリハビリに使わない手もありません。
となれば物は試し。いつか機会があったら長い距離の街道を歩いてみたいなと考えていました。幸いにも“旧日光街道”は自宅のあるエリアから比較的近くでもあったので、歩き始めるのには申し分無い条件であったのです。

日光杉並木街道

さて今回は《宇都宮宿⇒日光鉢石宿》の最終区間を歩いて来ました。始発電車に飛び乗りJR宇都宮駅に着いたのが6時50分。前回の終点のところまで歩いて行って、7時20分にスタート。今回のコースは前3回に比べて距離こそほんの少し短いものの、前3回に比べて標高差は半端ではありません。
およそ470mもあるので、ほぼ山歩きのレベルです。しかもそれを10時間かけてじわじわと標高を上げてゆくものだから、取得したログデータを見るまで何で今回はこんなに疲れてしまっていたのか分からず仕舞いでした。~_~;

日光街道と奥州街道の追分

徳次郎宿。“日光街道と奥州街道の追分”から歩き始め。これと云って目新しいものも無くずんずん歩き進めてゆく。上戸祭の一里塚あたりからぽつぽつ大きな杉並木が目立ち始める。

杉並木の歩道

その杉並木の歩道を歩いてゆくのだが、歩道は街道(道路)よりも高い位置にあるため、道路が交差する度に歩道を下りそしてまた上がるを繰り返す。結構な高低差。これが地味に疲れるのでした。

旧日光街道から見える里山

しかしながら“徳次郎城跡”あたりから風景が一変し、里山が見え始め、単調な歩きに変化が訪れます。

手打ち蕎麦みつぎ

大沢宿。・・・( ´Д`) 果たしてどこが大沢宿あたりだったのか定かではない。でもきっとお蕎麦を食べた辺りがきっとそうなのかしら。
ひどいシャリバテでペースが落ち始めていたので、お蕎麦とビールで小休止。鴨南蛮が絶品でした。ヨメさんのとろろ蕎麦もなかなかとのこと。
当たりのそば屋さん(手打ち蕎麦みつぎ)で、旧日光街道を歩いてきた甲斐がありました。瓶ビールは1本に留めて再スタート。

日光杉並木街道

さて、立派な“日光杉並木街道”にいよいよ足を踏み入れると、もうそこは山歩きをしているかのような景色で素晴らしくって、とても楽しんで歩いて行けました。
杉並木街道が綺麗だったからなのか、ヨメさん珍しくがんがんボクの写真を撮ってくれる。が、顔半分、おかしなポーズ、カラダ切れた写真多し。まいっちんぐ。

今市宿

今市宿。今市市街に入り、さらに雰囲気の良い“日光杉並木街道”を歩く。終点となる日光の鉢石宿までは距離にして8kmほどの看板が目に入る。

日光杉並木街道

日光杉並木街道

ボクらの歩くペースはだいたい1kmを15分で歩く計算なので、4kmで約1時間。するとあと2時間はかかるのが想像できた。
この日ゴールとする鉢石宿の“神橋”まで辿り着いたら、そのあとは日光駅周辺で打ち上げなどはせずに、『有終の美ール』は是非とも“あそこで!”と考えていたところがあったので、喉の渇きに耐えそして我慢しながら、最終目的地まで最後の力をふり絞るのであった。

日光二荒山神社 - 神橋 -

日光鉢石宿。真っ赤な橋で有名な“神橋”に無事にたどり着いた。時間は17:15分。この時間帯になると観光客もまばらで人も少なめ。時間が遅いのでもちろん神橋には立ち入れず。
ゴールした写真だけ撮って、一目散にJR日光駅まで退散し、ヨメさんと二人17:34分発の電車に飛び乗ったのでした。夕方の電車は本数が少なくて、次の電車になると50分も待たねばならない。ぎりぎりセーフであった。

酒処おとめ

さて、有終の美ールをやる打ち上げ場所に選んだのは、この旧日光街道歩きでたまたま見つけて気に入ってしまった、栃木県は小山市の間々田にある『酒処おとめ』であった。

酒処おとめ

地元臭ただよう雰囲気とママの人柄とメシの旨さがとにかく◎。間々田駅で途中下車ぶらりしなければならないけれど、旧日光街道歩きの〆のめしはそこでなくてはならないと思うほどのお気に入り店。
ビールがすこぶる美味しかったのはもう云うまでもありません。

旧日光街道歩き、これにて完結。お次は時間とお金があったら、中山道か東海道だな。いつかまた、是非とも挑戦してみたい。(・∀・) ヨメさんの足もまた、もうこれ以上怪我無く行って欲しいと願いたい。(~_~;)

因みにあとで分かったことですが、旧日光街道歩きの“参考として閲覧していたサイト”が、実はなんと、ボクにとってはキャンプ&肉会で知り得てから“先生”と呼ばせてもらっている賢人がつくったサイト『人力(旧街道ウォーキング)』であったことが判明!!
世間はホントに狭い。ビックリです。( ఠ_ఠ )

日光杉並木街道

■宿順:宇都宮宿⇒徳次郎宿⇒大沢宿⇒今市宿⇒日光鉢石宿(終)
■ルートラボ:https://yahoo.jp/F2_Iud
旧日光街道歩き1〈日本橋⇒粕壁宿〉
裏ver ケーコ編1
旧日光街道歩き2〈粕壁宿⇒間々田宿〉
裏ver ケーコ編2
旧日光街道歩き3〈間々田宿⇒宇都宮宿〉
裏ver ケーコ編3

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