丸川荘歩き〈ケーコ編〉

ランプの山小屋・丸川荘

ランプの山小屋、丸川荘。電気は通っていません。発電機もありません。

こんにちは、ケーコ(年女)です。

『20代のように早く回復しないよ!40代なんだから過信しないように!!』 骨折したあと、主治医に言われ続けて3ヶ月。本当は昨年中に挨拶に行きたかった。
『無理をすればかえって回復を遅らせることもあるからね!!!』 脅され続けて3ヶ月、いよいよその時は来た。

裂石からの登山道

登りはツボ足で、枯れ葉や雪に隠された凍結箇所に注意しながら慎重にいく。

全国的に大寒波襲来の週末だった。雪がちらついたかと思えば青空が広がり太陽が顔を覗かせたりもしたが、ひとだび突風が吹けば鼻毛も行動水も凍る寒さだ。このキーーーンとした空気、好きなんだよなぁ。

丸川荘の前

丸川峠は雪の吹きだまりのようで、綺麗に雪掻きされており、小さな回廊になっていた。たっぷりの雪を見られただけでも気分が上がる。小屋番見習い中の末澤さんが途中まで様子を見に来てくれていた。m(_ _ )m

この3ヶ月間、足首を動かして良い方向は前後(縦)だけで、左右(横)や斜め方向への捻りは禁止されていた。そもそも足首両側に硬いプラスチック板の芯の入った装具を常に着けていたから、曲がりようもなかった。
年明けすぐに装具を外す許可がおりたとき、その場で私は子供のようにはしゃいで喜んだ。それほど足枷だったのである。

裂石からの登山道

昨年末の水ノ塔山も装具を着けたまま登山靴を履いて登ろうとして、3歩歩いて諦めたのだった。装具がある限りダメだ・・・歩けないや。ならば平地を歩こう!日光街道でも踏破するか!と歩き始めても1日に歩けるのはせいぜい10㎞までだった。
5㎞以上歩くと足首が熱を持ち腫れるので、この件でも先生や理学療法士に度々注意を受けた。歩いても5㎞まで、必ずアイシングしてね、と。

ランプの山小屋・丸川荘

なんとか丸川荘に着いて、只木さんに手術の詳細を話すと、『ひゃ~~~っ』と乙女のような悲鳴を上げ怯えていた。(笑
『信じられない、そんなこと、信じられない、ひゃ~』って。金属のプレートとネジが取れたら実物を見せに行こうっと。ヒヒヒッ

山小屋・丸川荘の夜

この日は常連の与作さんと私達夫婦だけで薪ストーブを囲み静かな、静かな夜を過ごした。豆炭あんかのお陰で朝まで爆睡する。旦那の豆炭だけが深夜に消えてしまったらしい(笑
只木さん曰く、たまにそういうハズレがあるらしい。日頃の行いだな、わっはっはっ!

丸川荘の朝ごはん

翌朝、待望のとろろごはん!に大満足してお腹一杯で寛いでいると、早くも登山者が上がってきたとのこと。小屋番見習い中のチハルさんが、『お尻に毛皮つけてて可愛いカップル~♡』なんて言うもんだから、へ?尻皮?!振り返って見ると見覚えのある2人でないの!

いちにちの克雅

いちにちの、克ちゃんと雅ちゃん(年女)。実物は写真で見るより一回り小さい。只木さん作のマイカップ持って、モーニングコーヒーを飲みにきてくれた。

与作さんと克雅と再会の約束をし別れ、私達も裂石へ700m下る。このルートは急斜面のため、チェーンスパイクを着け、大きな段差はお尻をつき、木の根っこを掴み、一歩一歩を確実に行く。
『今まで何もなかったのは運が良かっただけ。リハビリ中に怪我を再発する人は20人に1人居るんだからな!』と先生に脅されてるから慎重にね。

丸川荘から裂石

たった3ヶ月ぶりなのに何もかも懐かしく思える。1年、いやもっとそれ以上、山を離れるのってどんな感じなんだろう。きっと大丈夫なようで、ちっとも大丈夫じゃない。
けど、なんとかなる。ぼちぼちやっていこう。

おわり

裂石の駐車場

豆情報:裂石の1番上の駐車場はツルツルなので要注意。不安な方は無理せず下の駐車場へ。この日も身動きのとれない車を皆で押したりと大変だったよう。

番屋茶屋のほうとう

下山後は番屋茶屋で、ほうとうと草餅を食べてから帰った。残り1個だった草餅は火鉢で焼いてあつあつをいただく。

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