左と右と山 〈1〉

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20数年前だろうか、スキーの時の転倒により、左膝前十字靱帯(ACL)を断裂していたっぽい。映画「私をスキーに連れてって」で始まったスキーブームの真っ只中だった。
断裂したといっても日常生活するぶんには全く支障はなく、極度の病院嫌いもあり、受診もせず、ACLとは無縁の暮らしをしていた。ただ、今思えば階段を下りる時、膝関節が軽く外れそうになる感覚は年に数回あった気がする。その後もちょいちょいスノーボードをやったり・・・、知らないって恐ろしい。

時は流れ2010年、山登りにハマり、毎週末山へ向かった。
始めのうちは体力もないから奥武蔵の低山をゆっくり慎重に短い距離を歩いた。筋力や持久力が付いてくると、もっと高く遠い所へという思いが募り、スピードを出すようになった。
調子に乗ってピョンピョン跳びはねながら小走りで下山していると、左足着地時に左膝関節が外れそうになる事も度々あり、気にはなっていた。そちらの分野に明るい山仲間のくにさんに相談すると、「ACLかも。」と即答された。
ACL?何だそれ?すぐに検索した。
あぁ思い当たる節が多いや、ACLかもな・・・と意識しながらも相変わらず週末は山へ出掛けた。

2015年7月11日。
四阿山での下山時、前をゆっくり歩くおばちゃん2人を交わそうとしてスピードを上げた瞬間、ザレ場の小石でズズズーーーッッと足を滑らせバランスを崩し、左膝関節がゴリッと激しく外れた。
関節はすぐにはまったが激痛もあり、さすがにマズいと直感でわかった。登山口まではあと1時間ちょっとある、さっさと降りないと!
なんとか下山し、高速道路のSAでトイレに行こうとしたら、左足がパンパンに腫れて曲がらず歩行困難になっていた。早めに降りて良かった。この状態の足で下山なんて無理だったろう。

翌日、整形外科を受診し、レントゲンとMRIを撮り、「うーん、膝前十字靱帯がないんだけど、心当たりある?」「明後日ならスポーツ整形の先生が居るけど、膝に詳しいからもう一度診てもらう?」の言葉に従い、そちらへ回して貰った。その方が、後に“主治医”となる。

2日経っても腫れは全然引かず歩きづらいのなんので、先生に診せるなり、「だいぶ水が溜まっちゃってるから、注射で抜いてあげようか?」と言われるも拒否。注射大嫌い。(´ε`;) 今ならさっさと抜いて楽にして下さいとお願いしてただろうに。
前回同様、「膝前十字靱帯が切れていて無い、その残骸も見当たらない、だいぶ前に何かやった?」と聞かれ経緯を説明すると、「登山復帰してずっと続けたいのなら、手術しないとダメだよ。」と告げられる。
この時、自分の中には“手術”という選択肢はなく、保存療法でいきたいという意志を伝えた。自然に腫れが引くまで、結局、1ヶ月もかかってしまった。

2週間に1回診察、1週間に2回筋トレメインのリハビリを開始する。
診察といってもこれ以上診ることもないので毎回色んな話をした。とにかく何度もしつこく、

「ACLだけなら治せる。だけどこの先何度も膝崩れを繰り返せば、半月板、軟骨を傷付けるよ。」
「軟骨を傷付け、人工関節になったら、山登りなんて出来なくなる。」
「あなたは10年後にはお婆ちゃんの様な膝になる、そうなってからでは遅いんだよ。」

と言われた。そうなりたくないから何とかしたいからリハビリを続けているのに、私もムカついて反抗的な態度をとったりした。中学生か!

「じゃあ毎回テーピングで固定して山登りますよ!」と言えば、
「テーピングはガチガチに固めても1時間しか持たない。すぐに緩むよ。」と返され、
「柔道の野村だってACLやった時、テーピングで固めて試合に出てましたよ!」と言えば、
「最終的には野村だって手術したでしょ。」と返される。ふ~やれやれだ。そして、
「色々と調べる事は大切だけど、この件に関しては手術しないとダメ。」と大抵先生にやり込められるのだ。

リハビリ4ヶ月目位から、先生の態度もやんわりしてきて、
「このままリハビリを頑張ってなんとかベストの状態の6割まで戻るといいね。」
「病院のリハビリ室をスポーツジムだと思って理学療法士に相談して利用して下さい。」
なーんて言うようになってきた。どうしたんだ!?

「最近はどお?」と近況を聞かれると、私も馬鹿正直に、「うーん、実はその後2~3回軽く、軽くですよ、外れそうになりました。」と言うものだから、そうするとまた豹変して怖い目で睨むのだ。
終わりの見えないリハビリは年末年始の浮かれて乱れた生活を境に6ヶ月弱で挫折した。

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今の自分に出来る事って何だろう?
膝関節が外れるのは決まって下山時で左足を着く瞬間だから、一歩一歩、本当に一歩一歩、着地を意識して降りる。あまりにも段差があったり、明らかに足場が不安定な所は右足から着地する。
それが困難な場合は面倒だけど左足をゆっくり着いて膝が外れていないのを確認してから右足を足場から離す。かなり慎重な足運びを心掛けた。
そんな歩き方をしてるから下りはコースタイムよりも時間がかかる事も多くなり、それを取り返すため上りで飛ばすという、よくわからない歩き方をするようになっていった。

道具では、ダブルストックはとても頼りになり有効だった。必需品。
ACL用の、膝の両側にワイヤーが入っているハードなサポーターも必ず毎回装着して歩いていた。
膝下の骨が前に飛び出して関節が外れないように、膝下をかっちり押さえつけて固定するタイプの、固定され過ぎて膝が曲がりづらく歩きづらいタイプのサポーターだった。
夏は暑くて蒸れて痒くなっても装着しないよりかは効果はあるだろうと信じて使用していた。

常に「だましだまし」とか「どうしようもない」って言葉に付きまとわれていたけど、山に登ればそんな事どうでも良いくらい楽しんでいた。

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そして2年と2ヶ月後、思わぬ所で落とし穴にはまった。

2016年10月10日
大菩薩嶺での山行にてまさかの“右足関節脱臼骨折”である。
今、思い返してももう本当に山から降ろしてくれた人達に私は足を向けて寝られません。

まさか骨折してるとは思っておらず、足以外は元気なもので当然お腹も空く。病院に診察のお願いの電話だけは入れておき、道の駅で鹿肉のキーマカレーを食べたり、野菜を買ったりしつつ、ゆっくり地元の病院へ向かった。
休日診療のため、都合良く整形外科医が居るはずもなく、麻酔科医に診てもらうと、「折れてますね。」と。
レントゲン画像を覗き込むと確かに折れてる。応急処置で簡易的なシーネ(添え木)をしてもらい、懐かしいリハビリ室で松葉杖の使い方を習い、主治医の居る明後日に再来院すると伝えて帰った。

2016年10月12日
診察日、始め先生は目をパチクリさせキョトンとしていたが、すぐに状況を飲み込み、「今日入院!!明日手術!!」「明日、誰か付き添える家族の人居る?」
「それから左足は大丈夫だった?本当は手術しなければならないのは左足なんだからね!!」と一気にまくし立ててきた。
「へ?手術ですか?綺麗にポッキリ折れてるんでギプスで固定すればすぐにくっ付くかと・・・」と聞くと、「あなたは何でも簡単に考えてるけどこれは大変な骨折だからね!!」
ここまで言われたら観念するしかない。

手術は夫に付き添ってもらおう。手術の日、同じ病院内で健康診断を受ける予定だったが、それよりももっと精密な手術前検査をこれから受けて貰うから!と健診は先生にキャンセルさせられた。
検査を終え、一旦帰宅し、入浴、爪切り、夕食、入院準備を済ませて病院に戻る。
入院手続き、一昨日応急処置してくれた麻酔科医から全身麻酔の説明、手術担当看護師から手術中の説明、主治医によるシーネで足の固定、バタバタひっきりなしに人が来て、終わったのが22時近く、慌ただしい一日であった。


《左膝前十字靱帯断裂~膝くずれ~保存治療~リハビリ挫折~右足関節脱臼骨折》まで

左と右と山〈2〉に続く

-ACLと骨折

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